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2009年3月26日 (木)

【書評】浅野房世・高江洲義英著『生きられる癒しの風景――園芸療法からミリューセラピーへ』(人文書院、2008年)

生きられる風景
Gpss090326a_5 小川洋子の『物語の役割』に出合って以降、評者は言葉に先立つ映像の重要性に目を開かされた。心理学の領域ではたとえば箱庭療法などが前言語的映像の秘める可能性を深く自覚していたものと思われる。本書は人間をいわば〈環境内存在〉として理解し、とくにグリーフケアの現場を取り上げつつ、そこに展開しているケアの最前線を特に風景に焦点を当てながら、園芸学、芸術学、精神医学の合流点に立つ治療者の視点から紹介するものである。浅野氏は植物介在療法の専門家、高江洲氏は精神科医で、いずれも上記の領域で複数の学術賞を受けた第一線の研究者である。
 まずは目次を挙げておこう。

Ⅰ 生きられる空間と風景
Ⅱ 癒しと緑の関係
Ⅲ 園芸療法とミリューセラピー
Ⅳ ミリューセラピーの実例
Ⅴ 生きられる癒しの風景を求めて

また巻末には充実した参考文献一覧表が掲載されており、新しいこの領域に今後踏み込もうと試みるものにとって、有益な情報源となるだろう。以下章ごとに順を追って紹介していきたい。

Ⅰ 生きられる空間と風景
 評者は「癒し」をめぐる昨今のいささか度を越した批判的風潮に疑問を感じていた。たしに癒しをめぐる多様な状況は混乱を感じさせるものであり、また癒しの名目で自我肥大や依存体質を放任する傾向も散見される。その結果、「癒しは卑しい」とまで言われるようになったが、しかし孤独において真に癒しを必要として人は顕在的にも潜在的にも実際多いのであり、ことに彼らに対する適切な、しかし試行錯誤が予想される、対応において、あまりにも厳しい状況批判は全体的な抑圧になるとさえ評者には感じられた。その点、本書の著者たちは治療の現場に精通していることあり、癒しの必要性を自覚する点でぶれることはない。と同時に、その安定感は、評者のみるところでは、社会的制度や学問的成果を根拠とした新しい近代的体系の構築を志向するのではなく、むしろ自然環境という生命の母胎に開かれることで、人々が生来備える自己治癒の過程を忠実に物語ろうとする基本的態度に由来するものと思われる。
 とはいえ、まずは先行事例を紹介するという学問の基本的手続きを本書も守っており、本章では、風景さらにはミリュー(「環境」、「場」など)研究で著名なオーギュスタン・ベルクの思想から、グリーフワークとの関連で死生学の立川昭や島薗進の研究成果が言及される。さらに特徴的なことは、芸術療法、園芸学、都市計画学さらには人間・植物関係学の基本的情報が簡潔に説明されている点である。一読して、どのような領域で「癒し」に関して世評に惑わされない真剣な取り組みがなされているかを知ることができる。

Ⅱ 癒しと緑の関係
 著者たちは植物のもつ癒しの効果を、35億年に及ぶ生命誌のなかで形成されてきた進化の事実に基づくものとして理解する。本章では身近な人を亡くした遺族や現在闘病中の癌患者などにアンケートを行い、その分析を行うのだが、それは小規模とはいえ日本、フランス、韓国の三カ国におよぶ国際比較研究である。その結果、いずれの国においても草原の中心に独立樹が一本屹立する風景が好まれた。草原が展望のきく点で、また樹木によって身を隠すことができる点で、人間の本能奥底に潜む安全・安心感を意味すると考えられることから、この映像が文化の違いを超えた、進化の過程で獲得された「元風景」(「元型」とならんで提起される概念で、この「元」とは「アルケー」に由来する)だと著者たちは理解するのである。
 その他の画像たとえば紅葉、日本庭園、森の道などが同じく人気を得たが、しかしそこには一般化できるような法則は見られず、当事者か遺族か治療者といった立場の違いからも多様な傾向が見られるとする。しかしながら日本であれ、海外であれ、また立場の違いに相違はあっても、いずれの回答者もきわめて熱心に参加し、しかも回答体験の喜びを語る声を伝えてきた点に、風景がもつ癒しの普遍的効果が予想されている。

Ⅲ 園芸療法とミリューセラピー
 植物の世話を行う過程で癒しを得る園芸療法の歴史的展開がまず簡単につづられる。ただし著者たちによれば、この療法はよりメタな次元のミリューセラピーの一環をなすことになる。フランス語の「ミリュー(milieu)」には、真ん中、環境、○○の世界、ある現象が起こるための媒質・培地といった意味があるという。こうしたミリューはベルクが和辻哲郎に倣って翻訳したように「風土」と訳すべきだが、日本の精神医学や心理療法の世界では「環境」と通常訳されている。そこでは「空間」、「支援者」、「ツール」の三要素が組み合わされる形で対象者(クライアント)をめぐる「生きられる癒しの風景」を形成していくことが目指される。ここでいう空間はいわゆる病院の治療室のような閉鎖空間ではなく、むしろ「間」を含むものであり、また支援者も野外を積極的に活用した治療過程で対象とともに言わされていくことが重視される。そしてツールとして注目される植物は、新らしい細胞の誕生のために、古い細胞が能動的に死ぬという命の循環過程を最もよく表現する素材と考えられている。
 評者としてはここで動物犠牲をモデルとしたキリスト教の受難と復活をめぐる思想的展開とは別の展開を表現する原映像として、緩やかな持続性を体現するきわめて長い時間性と葉の色づきなど沈黙に満ちた視覚的変化をともにそなえた植物的死生観が秘める可能性に魅力を感じる。しかし、そこではもう贖罪思想は成立しえず、これまでの正統的キリスト教からは逸脱するだろう。だが他方で、同伴者としての神理解もありうるのだ。V・フランクルの証言にもあるように、ユダヤ人強制収容所で限界を生きた(そして死んだ)人々は窓の外の沈黙の中に堂々とそこを動かない樹木に向けて祈りをささげた。この逸話の秘める物語的可能性は無視できないものだと思う。もちろんそこから神学の背骨の矯正に至るには長い試行錯誤が必要であろうが。ともあれ本プロジェクトにおいても、〈植物的〉に心や宗教を読み直すことは重要な一課題たりえよう。

Ⅳ ミリューセラピーの事例
 19世紀ドイツのカトリック司祭セバスチャン・クナイプが始めた水を主とした自然物を自然環境で活用する免疫システム強化療法が詳しく紹介されたのち、現代フランス思想の旗手の一人でもあった精神医学者フェリクス・ガタリが彼のエコゾフィーを体現した事例として賞賛した沖縄の病院などが写真入で解説されている。いずれも通念的な病院像とは大きく異なり、その実験精神に感動を覚える。
 こうした目に見える、ことに病院という空間での事例は、そこで例示されたような数々の庭をさらに充実させることで、現代社会における癒しの半公共的異界へと展開できるような気がする。行政やNPO団体が資金、知恵、労働力さらには土地を提供し、新しい福祉さらには人生教育の場へと発展することも可能だろう。ことに日本では自然や倫理が不可分的に宗教的価値を多分に秘めるため、キリスト教などの組織宗教にことさら特徴的な教義や儀礼をさほど強調せずとも、伝統宗教のもつ最も良質な特徴を保つことができると思われる。その意味でも、これからの日本の宗教の最前線はいわゆる既成の宗教施設ではなく、開かれた、しかし人目を忍ぶことも可能な、医療機関をめぐる周辺空間に見出せるようになるのではなかろうか。

Ⅴ 生きられる癒しの風景を求めて
 最終章である本章では科学・こころ・宗教のいずれの領域にも賢察を示し、また意義深い経験をもつ人物の思想が、今後の癒しの風景を示唆するものとして紹介されている。倫理学の鷲田清一、心理学の霜山徳爾、生命科学の柳澤桂子といった諸氏が取り上げられている。ことに鷲田氏の「待つ」という発想が重視されているように思われる。
 たしかに待つという点で、植物は動物よりもずっと手ごわい存在であろう。人間よりも長生きする動物はわずかながらいるものの、総じて短命な動物とは異なり、植物のもつ多様性は一年性の草から樹齢数千年の屋久杉までバラエティに富んでいる。人間が生きられる時間という点でも、植物ならばおよそあらゆる事態に相応するものを見出すことができるだろう。人間よりもずっと長い時間を耐える存在が沈黙のうちにわれわれの周囲に無数にあること。窓の外へふと視線を向け変えることで、この映像を容易に獲得できること。この確固たるリアリティに目覚めたらならば、その印象から宗教を大胆に編みなおすことは決して夢物語ではないような気がするのである。
(寺尾寿芳・南山宗教文化研究所非常勤研究員)

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