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2009年3月26日 (木)

【書評】北浜邦夫監修、高田公理・睡眠文化研究所編『夢 うつつ まぼろし――眠りで読み解く心象風景』(インターメディカル、2005年)

手ごろな夢入門
Gpss090326b  夢に関しては、精神分析はもとより心理学、文学、歴史学といった多様な領域で研究が進められてきた一方で、学術的な水準を保ちながら多領域にわたる学際的研究書はそれほど目立たなかったのではなかろうか。本書はフランス国立科学研究所神経科学部門主任研究員である北浜邦夫氏の監修のもと、文化人類学、情報メディア学、生理心理学、環境生理学など多様な領域で活躍する研究者からなる夢入門の書である。論述は平易で、図解やイラストを多用することで一般的読者の関心を喚起するとともに、ディスカッション形式も採用するなど、臨場感あふれる知的刺激に満ちた一書である。

 なお編者に名を連ねる「睡眠文化研究所」とは、「覚醒の文化」を追及する現代社会における「睡眠の復権」をめざして1999年に設立された機関であり、研究のほかに一般向けイベントや出版活動を行っているそうだが、所在地から推定して、寝具である枕の製作販売企業が関連しているようである。ただし本書には該当企業を想起させる販促的論述は表立って見られない。JT生命誌研究館、ポーラ美術振興財団、PHP研究所などに見られるような、企業が設立した企業文化の研究と広報をかねている団体と思われる。目次を以下に挙げておこう。

第1章 日本人と夢
第2章 夢を見続け四千年
第3章 夢のフィールド
第4章 バーチャルリアリティとしての夢

 第1章では日本の説話物語や坐禅における夢記述の紹介、第2章では古代オリエントからフロイトに至るまでの夢理論の簡潔な概説、第3章では夢における民族や文化のもつ意義の解説、第4章では入眠期の心象体験などが主要な話題となっている。

夢の姿
 まず日本の歴史を顧みて、夢が三つの姿をとることが指摘される。睡眠時に体験する最も一般的な「夢」。そして覚醒の世界で見えないものを見せる「幻」。この二者についてはわれわれ現代人も日常生活の中で実体験したり、メディアを通じて触れたりする機会が多かろう。しかし第三の姿として「影」(よう)を注目すべきだとされる。影とは、水や石といった物質がいわばフィルムの役割を果たし、そこに映像が浮かぶというメディアを持った夢である。全国の神社で散見されると言う「影向石」(ようごういし――遠く離れた想い人の姿が表面に映し出されるという石)や浅草寺の末寺における石枕(観音菩薩の教えを伝えるものとされる)が紹介される。また夢にまつわる伝承はかならずしも古いものに限らず、たとえば色つきの夢に対する忌避感(凶兆や精神的不安定の象徴とみなされる理解)が夏目漱石に由来していることなど、興味深い事例が挙げられている。ともあれ、多様な夢の存在が世界に一種の〈深み〉あるいは〈厚み〉を与えていたことは間違いなかろう。記憶や歴史を考える際、「死者」という発想が近年他者論におけるリアリティ再構築という視点から大きなインパクトを発揮しているが、それにつづいてこの「夢」にも類似の可能性が秘められているように思われる。

夢理論の歴史
 メソポタミア、エジプト、ギリシア、インドなどの古代文明において夢判断は重要な社会的意義をもっていたことはよく知られており、本書でもその概観が紹介されている。そもそも古代世界では覚醒時よりも睡眠時のほうが真理に近い状態だという理解が広く観察できる。身近な例でも、旧約聖書の「創世記」において神がアブラムと契約を結んだ際、神はアブラムを「深い眠り」(15:12)に沈めてから契約を結んでいる。しかしもはや一方的に受動的な睡眠ではなく、半能動的な、つまり自分が夢を見ていることを(薄っすらではあれ)自覚できる状態を示す「明晰夢」が本書で説明されているように、夢の領域でも意識の拡張は否定できないようである。また夢にまつわる近年の理論的展開としては、幼児が夢において成長時の行動のリハーサルを行っているという夢のシミュレーション説や、さまざまな生得的な行動プログラムがレム(急速眼球運動)睡眠によって起動するという「遺伝的行動のプログラミング機能説」の概要が述べられている。
 しかしより関心を引くのは、子供の発達過程における夜型と昼型の違いと変遷の記事である。そのなかで性的成熟が夜型化を引き起こしたという主張がなされているが、禁欲を旨とする修道院や僧院でおしなべて朝型が徹底されていることを思い起こせば、性的成熟を抑制するという意味で宗教的修行に向けた共同体における朝型の採用は、選択として納得できるものであろう。さらに夜間も営業するコンビニの照明が過剰に明るいことを批判するくだりは、一種の文明批判の趣を呈している。

老化とともに
 乳幼児に観察できるように、視覚や言語の習得にあたっては大脳皮質というフィルムに情報を加えていくために、外界からの刺激を使いながら神経回路の形成をはからねばならないが、やがて加齢とともにその必要性は減退し、神経回路は柔軟性を失う。その結果、老年期では物覚えが悪くなるらしい。たしか哲学者の竹田青嗣はこのような現象を世界からくみ出されるエロスが減退することだと語っていたはずだ。そして実際老人は夢を見ることが少なくなるようである。しかしこのような老化を予防しようとして、睡眠薬を服用して無理やり睡眠を深めることは実は逆効果である。なぜなら睡眠薬を服用すると、情報の整理組み換えである夢を抑圧し、また記憶を大脳皮質に伝達する部位の働きを弱めてしまうからである。ただでさえ老化の一環として衰弱している夢機能がさらに劣化するだけなのである。
 もちろん夢を促進する契機はほかにも見出すことができる。たとえば自転車に乗ることやローラースケートを習うといった、からだで憶える記憶のプロセスにおいては夢が増えるという。その意味で、たしかに身体的運動を伴った訓練的反復学習に典型的な学習形態は老化の予防に効果的かもしれないが、そもそも老化とは身体的衰弱を必然的に伴うものであり、いわばこれも自然に逆らった方策といえるだろう。

表情を持つロボットへの期待
 そのような苦行ではなく、楽しみながら身体的記憶に相当する刺激が得られないだろうか。無機質な疲労と生産的な心地よい疲れとの差は、人間である以上、コミュニケーションの有無さらにはその質に大きく依存するものと思われる。しかも言語的コミュニケーションのみならず、非言語的なものを含む対話が重要な要素となろう。必要最低限どの機能を超える一見無駄な余白性。少ない身体的要素で大きな情報を伝えるもの。それは表情ではないだろうか。いま福祉の現場で介護ロボットが秘める可能性が注目を集めているが、表情を備えたロボットなら、人間の尊厳を守りながら、介護以前のリハビリあるいは老化予防の段階から人間と関わっていくことができるのではないだろうか。この表情へは心理学的なアプローチが要請されるだろうが、他方、このロボットは絶対に人の生命を毀損しないという徹底した性善さを体現したものでなくてはならない。そのときこそまさに神・仏・天使・菩薩といった宗教の領域で蓄積された人格モデルが有益な情報を提供できるだろう。このような課題を探求していく現場を思い起こすだけでも、われわれのプロジェクトがもつ基礎的意義を確認できるように思われる。いかに困難が予想されようとも、希望の予感をたんなる夢物語として終わらせるのではなく、その道を歩む前衛として心して歩んで行きたいものである。
(寺尾寿芳・南山宗教文化研究所非常勤研究員)

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