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2009年2月 6日 (金)

【書評】遠藤秀紀著『人体 失敗の進化史』(光文社、2006年)

□「失敗」からはじまる
Gpss090206  評者はキリスト者として神によるこの世の創造を理解しようと無理を承知で願ってきた。しかし言うまでもなくこの出来事は通常の理解を超えている。キリスト教信仰では、創世に限らないが、「信じる」ことは「理解する」ことに基本的に優先すると考えられてきたため(ただしカトリックでは両者の調和を伝統的に求めてきた)、それに乗じて理解への願いはさほど強いものではなかったというのが正直なところである。すくなくともこの世はすばらしく、かつ進化論も創造論にとってもはや躓きの石ではなく、むしろ神の偉大な創造力の表現として「みごとな」ものだと考えてきた。本書はそのような神話的あるいは親宗教的な進化観を突き崩すダイナミズムを秘めており、無類の刺激を得ることが出来た。
 目次を挙げておこう。

序 章 主役はあなた自身
第一章 身体の設計図
第二章 設計変更の繰り返し
第三章 前代未聞の改造品
第四章 行き詰まった失敗作
終章 知の宝庫

 著者は動物学専攻で、『パンダの死体はよみがえる』などの著作がある獣医学博士にして現在京都大学霊長類研究所教授。動物の遺体から進化の謎を探求する「遺体科学」の提唱者として知られる。

□設計図という視点
 著者はニワトリやサンマといった身近な事例から進化の不思議を描写するが、そのために必要な視点となるのは「設計図」という発想である。そしてこの設計図は固定的なものではなく、さまざま環境や事態に対応して臨機応変に書き換えられる柔軟なものとして考えられている。つまり、機械の設計の場合は使用者である人間の目的に合わせて白紙から設計されるのに対して、動物の場合は白紙から設計されるという発想は間違いであり、むしろ「何かとても“便利”な設計図があると、それを平気で五億年くらい使い続けられることになる。消しては加筆、加筆を消しては書き込んで、の繰り返し」だと言うのだ。
 動物の設計図とはまさに外部的な超越的視点から描かれるようなものではなく、動物自身が自身をより生き延びるために自己修正するために必要な試し書きのようなものといえようか。たしかに生存をかけて空を飛んだり速く走しったりといった目的はありながらも、その実現のために手っ取り早く手身近なものを流用することで対処するのである。著者の説明を読む限り、それは〈驚き〉を伴うことではあっても、お世辞にも〈美しい〉とは言いがたい苦肉の策といった感がある。まさに生命の〈涙ぐましい〉試行錯誤の蓄積こそが読み取られるのである(その意味では「設計図」というよりも〈履歴書〉とでもいったほうがふさわしいような気がする)。
 しかもその時間的スパンはじつに五億年におよぶ。この〈異常な〉長さはわれわれに親しい宗教という課題を語る際に重要だ。なぜならわれわれはせいぜい五千年から三千年程度の歴史の中で宗教の全体像をつい理解しがちであることへ反省をもたらす発想たりうるからである。

□無碍自在な〈余白〉
 また本書からは進化における狙いと効果が異なってしまった事例を多く知ることができる。たとえば骨。まさに身体の基本的要素の筆頭ともおもわれるこの骨は、われわれが通常考えるように身体の柱として作られたものではなく、本来はリン酸、カルシウム、ミネラルの体内配分を適切に行うための貯蔵機能が第一であった。こうした事例から「進化の歴史は行き当たりばったりに材料を探し出して、新たな役割を与える」ものに見えると著者は語る。そして「大幅な設計変更を介してまで、新たな機能を獲得していくことができるほど応用力に富んだ、もともとの脊椎動物の原設計の存在」に感銘を受けるのだとも。しかし先述したようにそれは「設計」というよりも、むしろ〈余白〉的な無碍性というべきであろう。この余白があるからこそ、著者が言うように「滅茶苦茶に配置換え」をしていくことができたのである。地球環境の大変化に動物が耐え抜き生き抜いたことを想起すれば、この余白の大きさと柔軟さはまさに感動ものであろう。

□女性の驚くべき反進化(?)
 第三章では目からウロコの話が連続するが、評者にとっては女性の月経、妊娠、出産をめぐる話がことさらに面白かった。著者によると、女性については「一七歳で初潮を迎え、以後絶え間なく妊娠と泌乳を繰り返して、三十代で死ぬ。というのがホモ・サピエンスの初期の設計図」だという。言うまでもなく現代の女性はこの設計図から大いに逸脱している。その際決定的な役割を果たしたのが、驚くべきことに哺乳瓶の発明だという。じつは女性は母乳によって授乳しているあいだは排卵も月経も起こらない。それは少数の子供をじっくりと育てることを選択した人類の進化の歩みとも理解される。しかし哺乳瓶さらには多様な社会的変化もあいまって女性の生涯設計は決定的に変化した。頻繁に排卵と月経を繰り返すようになった。著者は詳述していないが、それはむしろ多産にふさわしい(たとえば本書で挙げられている例でいえば)ネズミに近いあり方だろう。もしそうならば人間が選んできた進化の道行きに反する方向である。しかし実際のところ女性は多産どころか子供を産まなくなっている。もはや女性は、いや人間は動物であることを止めつつあるのだろうか。
 ともあれ、昔と同じように妊娠し出産育児をしていても、じつに小さな揺らぎ(たとえば哺乳瓶の発明のような)で大きな変化が生じる。こうした変化は事前に設定されたものとは思えない。まさに人間が自ら生み出したもので自ら変わっていく典型的な事例といえよう。小さな技術的発明が進化の流れを変える。複雑な思いである。

□「闘う」基礎科学者の決意表明
 終章で著者は、成果を急ぎすぎ経済的効用に引きずられがちな現代の学問体制を強烈に批判している。動物解剖学のような地味な学問は大学から捨て去られ、また辛うじて大学に棲息する研究者も研究成果を挙げることに追われるあまり、現場の人々が抱く疑問や感情に沿う余裕を失っている。こうした事態に対して著者は、愛した動物の遺体を活かしてあげたいと願う動物園の人々や、科学に理解を示してくれる猟師などと連帯する道を選ぶと高らかに宣言する。そうした「闘う学者」であってこそ、市民と文化の未来に貢献できると考えるからである。評者も著者のこの心意気に満腔の賛意を表するものである。
 しかも評者としては同時に宗教の領域において最近喧伝されるインテリジェント・デザインという口当たりの良い仮説に対抗するためにも、本書が示すような基礎的で批判的な視点を確保しておくことが重要だと考える。著者が言うように人間が「化け物の類」にして「失敗作」だとまで断言する確信はないが、しかし今われわれにとって奇跡的に見える様々な驚異的身体の神秘もじつは〈涙ぐましい〉動物自身の営み抜きにはありえないことは容認してもよいと思われる。
 インテリジェント・デザイン論からはそうした曲折は感じられず、「神の似像」としてつねに〈瑕疵なき〉成功作へと導かれつつあるものとして、自他ともにストレートに思い込ませようとする作為性があるのではないか。しかし、いまや「失敗」なき「成功」という〈完全性〉ではなく、「失敗」を含んだ「成功」として〈十全性〉を特徴とする「似像」観が要請されていると思われるのだが。「いとおしさ」や「かけがえのなさ」をめぐる感性が大きく変わりつつあるのではなかろうか。
(寺尾寿芳・本プロジェクト協働研究員)

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