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2009年1月 6日 (火)

「現代における宗教の役割研究会」(コルモス)第55回研究会議に参加して

 2008年、年の瀬も押し迫った12月26日(金)・27日(土)、京都国際ホテルを会場に表記研究会議が開催され、小生も僭越ながら所長代理として参加した。今年のテーマは「環境倫理と宗教文化」であり、初日が基調講演二つ、二日目がパネルディスカッションと全体討議であった。環境はひろく科学・こころ・宗教にまたがる領域であり、またなにより深刻な環境破壊を目の当たりにする現代人にとり喫緊の課題であることもあり、大いなる関心を持って参加した。

□基調講演
 まず大嶋泰治氏(生物工学、大阪大学名誉教授)が「環境と微生物」というテーマで基調講演を行った。観点は、地球生態系における微生物のはたらき、微生物は地球環境の成立にいかに関わったか、微生物は人類の生活にいかに利用されたか、という三つであった。まず地球上の生物は、植物、動物、微生物の三種類に大別されると大嶋氏は語る。恥を忍んで告白すれば、この三番面の微生物は評者の視野には従来まったく入っていなかった。しかし大嶋氏によれば、微生物が存在しなければ地球上で生命の循環は起こりえない。根粒バクテリアのような微生物こそが有機化合物を分解、無機化するという重要な環境浄化の過程を担っているのだ。しかし現代、化学工業の生産物として排出される農薬や塗料などは天然物ではないため、バクテリアも分解できない。さらには耐性菌の出現は、生命にとって深刻な打撃を与えると大嶋氏は解説する。こうした事態に対して大嶋氏は、結論として、まず植林の推進を提言する。つづいて農業の生産を高めて石油エネルギーへの依存体質から脱却しようと語ったが、その際、遺伝子組み換えは基本的に安全であるために積極的に容認すべきだとされた。また生物工学研究者として宗教に期待するのは、より快適な生活を求める人間の本性に対する一種の歯止めだと主張する。
 もう一つの基調講演は、岡田真美子氏(インド仏教学・環境宗教学、兵庫県立大学教授)による「環境倫理と宗教文化」であった。岡田氏は環境倫理とは理念的なものというよりはむしろ振る舞い・伝承・行事に潜在しているものとし、事例として循環型社会を支えてきた多様な遺跡や供養行事を挙げ、山口県長門市のくじら法会や梅原猛氏の「貝塚=墓」説を肯定的に紹介した。前者については岡田氏のフィールドワークによる研究成果がパワーポイントを使って詳述されるとともに、仏教学的知見から言っても、こうした殺生にまつわる「不殺生戒」とは「殺すなかれ」ではなく、本来「みだりに殺すまい」という過剰性忌避の誓いだとされた。また実験動物供養が紹介され、この生命観が本来日本独自のものであるとともに、おそらく日本植民地時代に韓国に伝えられ、現在でも継承されていることが紹介された。最後に「山川草木悉皆成仏」という造語が近年になって梅原猛氏によって提唱されたと主張され、このような感性的な生命観は環境世界の存在をみだりに傷つけない「もったいない」という「生命システムの生命ネットワークを守ることを善とする」倫理観に発展しうるとされた。
 二つの基調講演を聴き、評者としては「見えない次元」あるいは「消え去りつつある伝統」が環境倫理の主体性を自覚・構築していくうえで、見える次元や社会的新展開以上に重要な意義をもつことをあらためて痛感したしだいである。もちろん岡田氏が紹介した供養の感性は、現代の(ことに若い)日本人の感性にどれだけ妥当するかは疑問が残る点であろう。しかし評者および評者の同年代の知人を顧みて、成熟あるいは老化の道を歩むなかで、こうした「見えざる、消えつつある」領域への感性こそが、最悪の事態に突入する一歩手前で人類を踏みとどまるよう勇気付ける源泉たりえると気づきつつあるような印象がある。

□パネルディスカッション
 はじめに金子昭氏(倫理学、天理大学)が世界最大の仏教NGOである台湾の慈済会の事例紹介を行った。宗教団体であるとともに、むしろそれ以上に社会的貢献事業団体(NGO)として自己規定するこの会は、多様な社会貢献活動を実践するNGOの「総合商社」的性格を持ち、日本の宗教団体にとっても示唆深いものである。そこで環境保護はとくに力点が置かれている活動であり、たとえば資源回収のボランティア活動はひとつの菩薩行として高く評価されている。もっとも、実利志向の文化を反映してか、人間の身体も徹底して資源とみなすなど、日本人からみて異色な点もある。総じて、社会のシステムにかみ合った活動をすれば、どのような教団も伸びていけると実感したと金子氏は語った。
 つづいて稲貴夫氏(神社本庁広報部長)が、近年メディアの乱暴な報道から、お焚き上げや境内の落ち葉の焼却に至るまでダイオキシン公害発生源とされるといった危険な風潮を紹介したうえで、メディアの背景にまで視野を延ばし、過剰な市場依存に発する問題に対して宗教は「人間の行き方の理念探求」という次元で対応していかねばならないと主張した。
 さらに島本邦彦氏(有機農法研究家、元大本教総代会副議長・元大本本部長)が、「『コメ』と日本文化」のテーマで、大本教祖の「おつち(土)」の重視すなわち金よりも食糧を重視する思想を紹介し、化学肥料に依存することで土壌改良の技術を忘却する危険性を訴えた。四大文明のうち黄河文明をのぞく三つが塩濃度障害で滅亡した事実を想起し、微生物を活用した堆肥農法の再活性化を図るべきと島本氏は語った。
 最後に間瀬啓允氏(哲学・東北公益文科大学特任教授)が、主にキリスト教を念頭にしつつ、「環境の十戒」、「宇宙的キリスト」、「世界の継続的創造」といった注目すべき思想を紹介し、さらにエコロジーの神学で近年特に注目されている「スチュワードシップ」という発想を「管理」ではなく、「配慮」と訳すべきだと提唱した。

□全体討議
 島薗進氏(宗教学、東京大学教授)の司会によって活発な全体討議が行われた。岡田氏が梅原猛氏由来として紹介した「山川草木悉皆成仏」に関して、その天台本覚論的な性格から不殺生戒の骨抜き、あるいは免罪符的な効果があるのではないかという問題提起が広く共有された。評者も司会者から意見を求められため、以下のように応答した。つまり、供養などに伴いがちなこうした免罪符的な問題はじつは理念の段階にとどまり、たましいの深みにおいて懊悩する殺生の現場にいる人たちに過剰な造悪論的慢心を喚起することは実際なく、むしろ現場から離れておりながら、その利益を享受するわれわれ一般大衆にこそ起こりうることであり、宗教教団としては、隠蔽されがちな現場の苦悩に寄り添っていくだけの現場性・周辺性を保持することが求められると応えた。
 関連して小原克博氏(キリスト教学、同志社大学教授)は宗教としては「善人」を増やす方向ではだめで、人間の欲望に精通したうえで「悪人」でも参加できるような倫理システムを模索すべきであると訴え、また三宅善信氏(金光教)も二酸化炭素削減問題でネックになっているのは大企業ではなく、一般の中小オフィスや家庭からの排出であるため、より人間性に根ざした宗教倫理が求められると主張した。
 アンセルモ・マタイス氏(人間学、上智大学名誉教授)は、東洋/西洋という二分法はそろそろ卒業し、地球倫理の確立を模索すべきと述べ、他方、神道からは本澤氏が『続日本紀』の「かたじけなくまつる」という畏怖の念への覚醒を求めた。土屋博氏(キリスト教学・北海道大学名誉教授)は「自然保護の精神」といった言い回しに散見される「精神」という語の曖昧さを批判し、また梅津氏(立正佼成会)が宗教界はもっと経済倫理に注目し、社会改革の主体たらねばならないと主張した。
 こうしたなか氣多雅子氏(宗教哲学、京都大学教授)がある理系院生が地球滅亡の危機に絶望した事実を紹介し、われわれはいわば失敗した宗教に立脚しているのであり、この院生のような若い人、つまり過去の宗教に絶望せざるをえない人の苦悩にどう応答するべきかという問題を提起し、多くの参加者の共感を得た。この問題提起に対して、たとえば森孝一氏(キリスト教学・同志社大学教授)は単純な時代への適応ではなく、懺悔を経る意義を確認した。

□余韻的な感想
 評者は昨年に引き続きの参加であったが、昨年の落合恵美子氏(社会学、京都大学教授)による統計データを駆使した日本型寺檀制度神話の脱神話化につづき、今回も大いに刺激を得ることができた。既成教団の比較的上層構成員を多く含むこの研究会には、正直いえば、さほど刺激的な論議はなかろうと当初考えていたが、良い意味で予想を裏切り、充実した内容に感心したしだいである。
 とはいえ、他方でこの研究会においても、類似の会合と同じく、いわば(自己批判を含んだ)「攻め」のキリスト教と「守り」の仏教や神道といった傾向がなくもなく、やはり仏教側や神道側のさらに積極的な自己批判を聞いてみたいと思う。現実の問題に対して宗祖の理想や日本文化の特殊性を対比することで問題の解決を模索する姿勢は、思想面のみならず教団の主体の問題としても、事実上機能していない観がある。推定するに、この点に関し最大の問題は人材登用面にあるのではなかろうか。各方面たとえば今回のテーマに合わせれば環境問題に関する一流の人材が宗教者(より具体的に言えば僧侶や神官)としての人生を歩むなかで、宗教と諸問題の関連を己事究明として追及する。それだけの人生を賭けた挑戦がなければ、現代社会における伝統宗教のリアリティはわれわれ現代人のあいだでは感得しえないだろうし、それはまた教団として説明責任の不履行にも相当すると思われるのである。
 しかしながら、そうした問題を抱えつつも、学術研究者に留まらない多くの宗教者を含めた研究会がこうして地道に重ねられていることは、そしてそこにいまだ少数とはいえ若い研究者も参加しつつあることは、まさに期待を抱かせる光景といえるであろう。
(寺尾寿芳・本プロジェクト協働研究員)

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