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2009年1月22日 (木)

【書評】松本元著『愛は脳を活性化する』(岩波科学ライブラリー42、岩波書店、1996年)

□希望の書
Gpss090122 地味な書籍であるにもかかわらず、某巨大ウェッブ書店では七つもの評価が投稿されており、しかもすべて満点の五つ星。「小さな子を持つすべてのかたに読んでほしい」という穏やかな評価から「科学者による言論界の創造的破壊」という勇ましいものまであるが、いずれもレビューも多くの賛同を得ている。全109頁の小さな書物ながら、読者に与える希望の大きさがそこから推し量られる。著者は1940年生まれの神経回路の研究者。理化学研究所脳科学綜合研究センターのグループディレクターである。目次は以下の通り。

プロローグ 「脳を知る」とはどういうことか
1 脳とはどんなコンピュータか
2 脳型コンピュータの開発に向けて
3 脳から見た心――内部世界が作る心の特徴
4 愛は脳を活性化する
5 宗教と科学
6 新しい科学の始まりの中で
あとがき

評者は自らの能力と関心とを考慮して、第3章の「脳から見た心」以下を通読してみた。

□感情のダイナミズム
 人間は生活において自己を変えたいと願う反面、それがいかに難しいかも周知の事実である。著者によればこの困難の原因は、胎児のころから階層構造的に作ってきた内部世界の変更には、深層部分からの変更が伴うため、大きな決断とエネルギーが必要であり、それは容易なことではないことにあるとされる。この困難な仕事の遂行には本人の決意がなにより必要であり、外部からの安易な教導のみで達成できるものではない。この変容の過程は、「潜在記憶を何らかの形で意識の上に呼び出し、その記憶にまつわる感情を好ましいものに結びつけ変え、感情の部分が転化した新しい記憶として長期記憶化する」ことによって可能となる。父親を嫌悪していた映画評論家の淀川長治が、幼い頃の氏を映画館に連れて行ってくれたのが父親だったことに気づいたときから、その嫌悪の感情を感謝の感情に「すげ変え」ることに成功した事例を著者は挙げている。そのような感情の力動性は脳の中に蓄積された個人の歴史秩序を一気に変えるものであり、ゆえにその実現には理性による単なる事実承認の変化に留まらず、強い情動つまり感動が不可欠だされる。
 このような著者の見解を読み、評者は昨夏体験した内観を思い出した。吉本伊信が浄土真宗の一部に伝えられてきた「身調べ」を脱宗教化して、一種の心理療法として確立したものが通常「内観」と呼ばれるものである。カトリック司祭でありつつ内観を実践している藤原直達によれば内観の特徴は、①してもらったこと、お世話になったこと、愛されたこと ②お返ししたこと、してあげたこと ③迷惑かけたこと、の三点から自己の内面を調べることにより、従来憎しみの対象であった人物を許し、またそれにより憎悪によって繋縛されていた自己を解放することである。まさに著者が淀川の体験に観察した事態と同じものといえよう。

□情が主、知は従
 事故や病気から奇跡的に回復した事例に見られる家族の献身的な看病は、知的で冷静な計算されたものではなく、やむにやまれぬ回復への情的願望であるが、そうした情のはたらきは事実だと著者は肯定する。しかもこの情のはたらきはこうした例外的事態においてのみ見られるものではない。一般的に言って、「人を理解するということは、その人の発した言葉の内容を理解するだけではなく、その言葉を発する基盤となる感情を理解すること」と著者は言うのだ。そしてこのような感情の根基は赤ん坊ですら生得的に望む人間関係の構築を前提にしている。つまり愛を抜きにして理解はありえず、この愛は「自分自身が愛を受けた経験をもってそれを学習し、脳内にそうした回路を形成してかなくてはならない」のである。評者としても首肯できる見解である。そしてなにより、人間はこうした愛に支えられた環境においてこそ、広義の学びが可能なのだと改めて痛感する。たとえば幼児教育は知育ではなく情操教育に「すぎない」としてときに軽視されることがあるが、それは誤りであり、情操教育なくして知性は育ちえず、ゆえに幼児教育はすべての教育の基礎にあることが理解できよう。また脳科学やコンピュータサイエンスに携わる人材にとって子育ては、自身の専攻が人間的な価値を持つためにも貴重な経験場となるであろう。さらに近年宗教学界でさかんに論じられている宗教教育の是非や内容検討においても重要な示唆を提起しているように思われる。

□「神」の実体としての遺伝情報
 宗教における「神」の実体は進化の過程で獲得されてきた遺伝情報そのものであり、その無限の可能性を人は後天的に得た社会的枠組みなどによって規制してしまうと著者は語る。科学もそのような枠組みの一つなのだ。こうした自己規制を回避するためにも有益な方策となりうるのが、「人の思いをはるかに超えて存在する事前の奥深い『意図』を味わい、あるがままの自然を受け入れることから」出発する「地球環境および自然の保護」とされる。そしてこの領域に優れた蓄積をなしてきたのが、まぎれもない宗教なのである。
 もっとも、超越者そのものには被拘束性からの絶対的自由が保証されているにせよ、諸宗教は多様な文化的な特殊性という枠組みで囲繞されているわけであり、宗教の可能性がただちに既成宗教の正当化につながらないことは言うまでもないことであろう。また遺伝子が「無限」の可能性を持つということも、浅学非才にして評者にはいまひとつ理解できない。むしろ未発の多様な可能性を秘めているということで、「無限定」というべきかもしれない。

□「死に物」と「生き物」
 線形平衡系にある「死に物」とはことなり、非線形非平衡系にある「生き物」の場合、小さな揺らぎが大きな変化に展開する点に特徴が見出せるとされる。いわゆる「バタフライ効果」が観察できるのである。「人という存在は、その人の置かれている時代やその人の思いをはるかに超えて、まったく想像していないような形でその影響が後世に現れうる」のであり、「こうして人は知らず知らずのうちに歴史を作ることになる」。この可能性をいわば予覚的に知る機能をもつのが著者によれば「夢」をもつことだという。そしてその夢を見させる主体がまさに脳なのだ。結局「死に物」にかこまれ、「死に物」に自己同化していくと人間は「生き物」ではなくなり、夢ももたなくなる。人は作成したものによって逆に作成される。脳の研究と「開発」に多大な労力を投入するロボット工学やコンピュータ科学に従事するものが自戒しておくべきことだろう。そしていうまでもなく、ときに「死に物」の宗教形態を後生大事にかかえがちな親宗教的な志向をもつものにとっても、この自戒は同様に妥当するものである。
(寺尾寿芳・本プロジェクト協働研究員)

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