« 【書評】玄侑宗久著『死んだらどうなるの?』(筑摩書房、2005年) | トップページ | 「現代における宗教の役割研究会」(コルモス)第55回研究会議に参加して »

2008年12月19日 (金)

1980年代の「脳科学」の新聞報道

□市民権を得た「脳科学」?
 最近、書店で、「脳科学」関係の書籍を目にすることが多い。例えば、認知神経科学を専門とする坂井克之氏(東京大学大学院医学系研究科助教授)『心の脳科学―「わたし」は脳から生まれる 』(中公新書)や、心の哲学、現象学、倫理学、応用倫理学を専門とする河野哲也氏(立教大学文学部教育学科教授)『暴走する脳科学』(光文社新書)などは、最近刊行された一般読者向けの新書である。
Gpss081219_2  また、専門的なシリーズ本として、東京大学出版会から、「シリーズ脳科学」全6巻が現在、刊行中である。ちなみに、その「第2巻 認識と行動の脳科学」を本プロジェクトにご参加いただいている田中啓治先生(理研BSI認知脳科学研究グループ・ディレクター)が、「第3巻 言語と思考を生む脳」を同じくプロジェクトにご参加いただいている入來篤史先生(理研BSI知的脳機能研究グループ・ディレクター)が編集されている。
 今や、「脳科学」の研究(批判も含めて)は、日本社会で完全に市民権を得たということだろうか。

□「脳科学」報道の記事件数
 では、「脳科学」についての話題が一般社会に報道されるようになったのは、いつからだろうか。本プロジェクトのスタッフ・細江奈々さんに、『東京新聞』『中日新聞』の新聞記事データベースを調べていただいたところ、面白い傾向がわかり、興味深い記事が見つかったので、紹介したい。
 『東京新聞』『中日新聞』の過去の記事を、「脳科学」で検索したところ、初めて「脳科学」が取り上げられたのは、1987年とのこと。この年はこの 1件のみで、その後は1990年に 1件、1994年に 2件、1996年に 12件、1998年に12件、2000年に24件、2001年に35件、2003年に35件、2005年に55件、2008年(現時点まで)に68件の記事があるがことがわかった。
 90年代に少しずつ取り上げられるようになり、00年代に注目を浴びるようになったという傾向が見て取れる。

□「脳科学」報道の初出記事
 では、1987年の『東京新聞』『中日新聞』の記事は、どのようなものなのだろうか。
 1987年8月11日に『中日新聞』朝刊7面に、「超電導セラミックスで磁束計 微弱な磁気検出 日立が試作 医療装置に応用期待」という記事が掲載されており、日立製作所が「半導体の微細加工技術を初めて超電導セラミックスの薄膜に応用し、液体窒素温度(セ氏零下一九六度)で作動する高感度の超電導磁束計(SQUID)の試作に成功した」との記事が掲載されており、以下のような記述が記事の最後尾に記されている。

 「人間の脳や筋肉は自然界にある地磁気の一千万分の一程度の微弱な磁気を発生するが、普通の磁束計ではとても計測は無理。SQUIDではこの人体の磁気も検出できるため、血液が流れる際に発生する磁気の変化で心臓機能の異常を調べる心磁計には最適。また脳が活動するときにどの部分に磁気が発生するかを調べられるので、脳科学の最先端の研究にも大きな役割を果たすとみられている。」

 ただ、この時点では、今ほど「脳科学」の情報が普及しているわけではなかっただろうと思われるので、「脳科学の最先端の研究」をイメージできた一般読者は少ないのではなかろうか。

□養老孟司氏の「脳科学」観
 なお、1980年代後半から、「唯脳論」を唱え、「脳科学」の社会的普及に貢献したのが、周知の通り、解剖学者の養老孟司氏(東京大学名誉教授)であろう。
 上記の初出記事から、9年後の1996年3月5日の『中日新聞』科学面(8面)に、「脳を語ろう(下) すべての学問を統括 人間の行動測る尺度に」と題した養老氏の談話が掲載されている。
 この中で、「脳の科学とは、どういう科学だろうか。脳の規則を遺伝子に求める人もいるが、私が強調したいのは哲学だ。哲学は言葉を使う。言葉は脳の働きそのものであり、言葉を使う哲学は脳の科学ではないだろうか」との、養老流「脳科学」観を披露している。
 また、 脳と学問のあり方について、以下のような示唆深い発言をしている。

 「現在、学問は分化しているが、普遍的に通じる規則があるとすれば、一つは一番基本的な物質の科学。その次が生物の遺伝子といった情報系の科学。そして最後に脳という科学。考えようによっては、そのすべてを脳の規則が完結している。私たちが理解するというのは、脳で理解することであり、脳の中にないものは理解することはできない。(中略)つまり、脳の科学が発展すると、人間がすること、なすことを測るものさしができることになる。今は分からない絶対的な大きさが分かるようになる。」

 現時点で、この発言をどのように捉えるかは評価の分かれるところであろうが、少なくとも「脳科学」の発展が、人間の行動を考える上での重要な準拠点(ものさし?)のひとつになったことは明らかなのではなかろうか。

 以上、「脳科学」の新聞報道をめぐる雑感である。
 担当:細江奈々(記事検索)、大谷栄一(執筆)

|

« 【書評】玄侑宗久著『死んだらどうなるの?』(筑摩書房、2005年) | トップページ | 「現代における宗教の役割研究会」(コルモス)第55回研究会議に参加して »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/203998/43465338

この記事へのトラックバック一覧です: 1980年代の「脳科学」の新聞報道:

« 【書評】玄侑宗久著『死んだらどうなるの?』(筑摩書房、2005年) | トップページ | 「現代における宗教の役割研究会」(コルモス)第55回研究会議に参加して »