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2008年9月21日 (日)

【書評】前野隆司著『脳はなぜ「心」を作ったのか――「私」の謎を解く受動意識仮説』(筑摩書房、2004年)、同『脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?――ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史』(技術評論社、2007年)<1>

□脳科学への注文
Gpss080921_2  以前、茂木健一郎氏の著作をこのブログでも紹介させていただいたが、それ以降、ちょっと脳科学に注目している。
 曲がりなりにもキリスト教を中心に諸宗教(ことに日本仏教)を学んですでに20年近い。浅学非才であることを棚に上げての暴言だが、この領域ではよほどの新説・珍説でもなければもう特別の関心を持つことがなくなっている。悲しいかな、宗教研究の領域から汲み出せるエロスが逓減しつつあることは否めないのである。そうした状況にあって脳科学との出会いはちょっとした回春剤になっている。

□「受動的意識仮説」とニューラルネットワーク
 前野隆司氏を知ったのはまったくの偶然、その著書がある巨大ウェッブ書店のサイトで高い評価を得ていたからだった。早速注文してみたところ、『脳はなぜ「心」を作ったのか』のプロローグを一読して驚嘆。「私の考えによれば、心が実に単純なメカニズムでできていて、作ることすら簡単であることを、誰にもわかる形で明示できる。・・・近い将来、心を持ったロボットを簡単に作れるようになるだろう」と著者は豪語していたのである。
 その理論的根拠は著者によると「受動的意識仮説」である。脳においては無意識のはたらきがなによりも大切であり、そこにはそれぞれ独立しておのおのの処理をこなすモジュールが存在する。そしてそのモジュールを脳のニューラルネットワーク(神経回路網)が担っており、このニューラルネットワークは「小びと」とたとえられる。以下著者の主張を簡単にまとめてみよう。

□「無意識」のスイッチと脳内の活動
 意識はこうした無意識のはたらきの結果として成立するものにすぎない。こうした膨大な「小びと」を統御するものは存在するはずがなく、たとえばもっとも意識的な行為と思われてきた「思考」ですら、無意識下の小びとたちが行っている自律分散計算であり、実際思考に当たっては「考えた」というよりも「ひらめいた」ように感じられる。リベット博士の「指を動かす」実験では、心が「動かそう!」という「意図」を「意識」するよりも前に、「無意識」のスイッチが入り、脳内の活動が始まっているという結果が検出されていると著者は教えてくれる。これやあれやで意識はすべて錯覚、よって自己意識に支えられている「私」も錯覚ということになり、死ぬことを恐れることもなくなる。個性的なのは「私」ではなく、私を生み出した「小びと」たちであり、それはもう「私」のコントロールが及ぶ範囲にはない。そもそも死への恐れさえもが錯覚なのである。ではなぜ錯覚であるにもかかわらず意識があるのかと問えば、その答えは、エピソード意識を作ることによって人間は場当たり的で不便な生活を解消できるから、つまり便利だからである。(つづく)
(寺尾寿芳・南山宗教文化研究所「科学と宗教」プロジェクト・研究アシスタント)

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