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2008年3月26日 (水)

【新刊紹介】理化学研究所 脳科学総合研究センター編『脳研究の最前線』上下(講談社ブルーバックス、2007年)

理化学研究所 脳科学総合研究センター編『脳研究の最前線』上下(講談社ブルーバックス、2007年)

□「こころに向かう脳科学」

 「『脳とこころ』の関係はデカルト以来の難問である。これまでいろいろな仮説的な考えが提案されてきたが、実験科学の問題として扱うことは非常に難しかった。しかし、脳科学が非常な勢いで進歩し、脳の中で働く物質過程の知識が大きく広がった。人の脳の中で起こる活動を測定することもできるようになり、脳に作用する薬剤の開発も盛んになった。知的な興味に止まらず、現代の少子高齢化、情報化社会を生きるためには、脳とこころの関係について科学的に理解することが今や必須の要件になりつつあると思われる。」

Gpss080326a  これは、今回紹介する『脳研究の最前線』上巻の冒頭に収められた伊藤正男先生の「まえがき こころに向かう脳科学」の一節である。
 本書は、理化学研究所 脳科学総合研究センターの創立十周年記念として出版された一般書で、上巻が「脳の認知と進化」、下巻が「脳の疾患と数理」というテーマからなる。
 (詳しい目次は、こちら→上巻下巻を参照)

□理化学研究所 脳科学総合研究センターとは?
 理化学研究所の「脳科学総合研究センター」とは、どのような研究機関なのだろうか? 
そもそも「理学研究所」(通称は「理研」)は、1917年に創設された日本で唯一の自然科学の総合研究所で、物理学、工学、化学、生物学、医科学などにおよぶ広い分野で研究を進めている研究所である。脳科学総合研究センターは、この理研の中の一研究センターである。
 脳科学総合研究センターについては、本書で以下のように説明されている。

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2008年3月20日 (木)

背景を視野に収めた思考に向けて

□高い集中度への戸惑い
Gpss080332a_3 日常何気なく気付いている事態に明確な説明を与え、納得するというプロセスにおいて、科学のもつ力と意義は大きい。
 先日の投稿(國府田氏への論評)で、「自分ら専門家として仕事をしてきたなかで、〈何に最も抵抗を感じてきたのか〉、〈どこがいまでも正直好きになれないのか〉といった点に関する真摯な〈懺悔〉が問われている」といささか大げさな物言いをしたが、言い出しっぺの責任を果たすべくわが身を振り返って思いつくこととして、いわゆる「一神教」とされるキリスト教の神がもつ、高い集中度への戸惑いというものがある。つまり信仰においても、神学的な思索においても神への高い集中度が当然ながら要求されるものの、徹しきれず、いささか無理を通して論考を書き上げても、どこかしらに重要な要素を見捨てたような思いがして、不安にさいなまれるという経験を何となく重ねてきた。

□全体的感情に敏感な日本人?
 こうした事情に対する一つの説明となりうる科学的仮説を知る手がかりとして、科学情報サイトWIRED VISIONに掲載された「日本人は『個人より全体的感情に敏感』」(2008年3月11日付記事)を挙げることができるかもしれない。

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非常にわかりやすい内容なので、ぜひお読みいただきたいが、「画像を見る時、西洋文化で育った人は、中心に置かれた題材をその周囲のものと切り離して捉えるが、東アジアの人は同じ画像を全体的に見る」というのがその結論である。西洋人の場合、中心人物だけに視線を〈自然に〉限定して背景が目に入らないのに対して、東洋人(この実験の場合は日本人)の場合は背景が印象の内容に影響を与えるのだ。言うまでもなく、これは意志の問題ではなく反応の次元での出来事であり、理性的な思考に先行する。したがって、日本人の場合、すっきりしたイメージが形成されるのは、かならずその形成過程で背景に目が行くことから、中心と背景が調和しているときに限られることになる。そしておそらく背景の要素が多いほど、得られた調和は重みを増すことであろう。

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2008年3月13日 (木)

【書評】レイチェル・カーソン著(上遠恵子訳、森本二太郎写真)『センス・オブ・ワンダー』(新潮社、1996年)

レイチェル・カーソン著(上遠恵子訳、森本二太郎写真)『センス・オブ・ワンダー』(新潮社、1996年)

□密かに進行する化学的な危機
Gpss080313_2  先日の記事紹介で、國府田隆夫氏の論考に触れた際、科学者の倫理的有責性の自覚が中心的課題となっていたと述べた。物理学者らしく核戦争を想定した悲劇をそこに読み取ることが出来たが、ヒロシマ・ナガサキの惨劇をいまだ忘れるわけにはいかないものの、日常生活をいま脅かすのは、むしろ密かに進行する化学的な危機であるように思われる。この問題に関して警鐘を鳴らした嚆矢として、『沈黙の春』の著者、アメリカの海洋生物学者レイチェル・カーソンを挙げることはいまや常識に属するといえるかもしれない。本書は、56歳で没したカーソンの死後、友人たちが遺稿を整理刊行したものである。

□「センス・オブ・ワンダー」という語
 本書を読んだことのない者でも、「センス・オブ・ワンダー」という語は知っていよう。そしてその際、各人が思い浮かべる様々なイメージはおそらく大きく的をはずしていることはない。いや、それ以前にどう思おうが自由なのである。つまりこのフレーズは、たとえば定義づけや教義への囲い込みが困難な、かの「たましい」にも似て、一種のリアリティを喚起する契機であり、著者からの贈り物なのだ。したがって本書は全体を通じて読者のまったき解釈へと開かれた徹底的受動性に特徴付けられている。

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2008年3月 7日 (金)

【記事紹介】國府田隆夫「科学・哲学、そして宗教の間の対話を求めて―科学者は現代の情況に免責か?」(第3回「親鸞思想の解明」シンポジウム)

國府田隆夫「科学・哲学、そして宗教の間の対話を求めて―科学者は現代の情況に免責か?」(第3回「親鸞思想の解明」シンポジウム)

□「三つの知の領域」の重層
Gpss080307_3  物理学者(物性物理学・応用物理学専攻)で東京大学名誉教授の國府田隆夫氏が、真宗大谷派の研究機関である親鸞仏教センター(東京)で開催されたシンポジウムで行なった基調講演である(『現代と親鸞』第11号所収、2006年)。
 國府田氏は、知をめぐる情況は、庶民の知、職業人の知、文化人の知の「三つの知の領域」の重層として形成されており、その各層のあいだで相互に葛藤があると主張する。庶民の知についてはごく一般的な庶民が、職業人に関しては企業経営者、文化人については宗教者や技術者が念頭に置かれており、いずれもごく世間一般でわれわれが出会う人たちばかりである。
 この類別を挙げる際、著者はフーテンの寅さんで有名な映画「男はつらいよ」シリーズを挙げている。極端に専門化した科学者の世界とは異なり、こうしたいわば俗の知性においては、身近な異種同士のあいだで情愛と信頼が生まれ、個別知の領域がなにほどかの叡智に高められていると著者は語っている。

□対話の域を超える事態の発生
 他方で昨今の科学の最前線は、もはやこうした牧歌的ともいえる知の調和を想起させえない孤高の境位に至ってしまった。そしてこの俗の知性世界からの離脱は、核問題に典型的な科学の有責性を自覚するにあたって、〈不感症〉とでもいうべき事態を科学者にもたらしていると著者は警告を発する。
 他方、世俗の側からは「アインシュタインが全部悪い!」といった糾弾が起こってくるが(ただし、ここでの「アインシュタイン」とは著者によれば固有名詞ではなく、偶像化された物理学者の代名詞である)、このような対話の域を超える事態に対して、「自分たちが直面している難局を専門家や為政者だけに任せてはいられない。自分自身の意見を自分の言葉で言わねばならない」という「異なった『知の世界』に住む人たち」の声に科学者は耳を澄ますべきだと國府田氏は自戒する。

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2008年3月 5日 (水)

ES細胞とiPS細胞をめぐる「いのち」の問題

□対極にある「宗教と科学」?
 「宗教と科学は対極にあると思われがち。しかし、例えばカトリック教会は科学の進歩に敏感だ」、と朝日新聞記者の磯村健太郎氏は述べる。今年1月13日の『朝日新聞』に掲載された「万能細胞とバチカン」と題された記事の冒頭の一節である。
 磯村氏は、続けてこう言う。「京都大学の山中信弥教授らが昨秋、人の皮膚から万能細胞を作るのに成功した時は、[バチカン(ローマ法王庁)は─引用者]『歴史的な成果』とたたえた」。

□ES細胞(胚性幹細胞)iPS細胞(人工多能性幹細胞)
 最近、新聞などでよく目にする万能細胞は現時点で二種類ある。ES細胞(胚性幹細胞)iPS細胞(人工多能性幹細胞)だ。バチカンはES細胞には猛反対をしているが、iPS細胞には歓迎のコメントを出している。
 というのも、磯村氏によれば、バチカンの立場は「受精の瞬間から人間」なので、受精卵を壊して作るES細胞を認めないのは当然だからだ。
(ちなみに、ES細胞については、本blogのこちらの記事を参照のこと。)
 

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