« 【記事紹介】國府田隆夫「科学・哲学、そして宗教の間の対話を求めて―科学者は現代の情況に免責か?」(第3回「親鸞思想の解明」シンポジウム) | トップページ | 背景を視野に収めた思考に向けて »

2008年3月13日 (木)

【書評】レイチェル・カーソン著(上遠恵子訳、森本二太郎写真)『センス・オブ・ワンダー』(新潮社、1996年)

レイチェル・カーソン著(上遠恵子訳、森本二太郎写真)『センス・オブ・ワンダー』(新潮社、1996年)

□密かに進行する化学的な危機
Gpss080313_2  先日の記事紹介で、國府田隆夫氏の論考に触れた際、科学者の倫理的有責性の自覚が中心的課題となっていたと述べた。物理学者らしく核戦争を想定した悲劇をそこに読み取ることが出来たが、ヒロシマ・ナガサキの惨劇をいまだ忘れるわけにはいかないものの、日常生活をいま脅かすのは、むしろ密かに進行する化学的な危機であるように思われる。この問題に関して警鐘を鳴らした嚆矢として、『沈黙の春』の著者、アメリカの海洋生物学者レイチェル・カーソンを挙げることはいまや常識に属するといえるかもしれない。本書は、56歳で没したカーソンの死後、友人たちが遺稿を整理刊行したものである。

□「センス・オブ・ワンダー」という語
 本書を読んだことのない者でも、「センス・オブ・ワンダー」という語は知っていよう。そしてその際、各人が思い浮かべる様々なイメージはおそらく大きく的をはずしていることはない。いや、それ以前にどう思おうが自由なのである。つまりこのフレーズは、たとえば定義づけや教義への囲い込みが困難な、かの「たましい」にも似て、一種のリアリティを喚起する契機であり、著者からの贈り物なのだ。したがって本書は全体を通じて読者のまったき解釈へと開かれた徹底的受動性に特徴付けられている。

□章立てのない著作
まず、たしかに小さな作品であるものの、一冊のまとまった著作として本来不可欠とされている章立てがない。したがって本書には目次がない。著者没後に刊行されたため、はたしてそれが著者の最終的遺志であるかどうかは判明しないが、著者の思想を熟知した友人たちが編集したこともあり、おそらくそれは「正しい」選択だったと思われる。言うまでもなく、生の表現はもともと部、章、節などによってはじめから分節化されているわけではない。たとえばわれわれが手にしている聖書も、そもそも現行のような一冊の「書物」ではなかったし、見出しも節番号もついていたわけではない。われわれは聖書に宣教という社会的目的あるいは学術的解釈の必要性からさまざまな目印をつけ、道具化してきたのである。本書はそうした、教義にせよ思想にせよ、なんらかの「分節・構築の意志」に向かう前の穏やかで自然な「休息」を与えてくれる。

□緻密な理性的営為に対する「補助線」として
 こうした書物をいわば「書評する」というのも、また詮無いことであろう。よって今回は筆者が心打たれたいくつかのフレーズを以下に紹介することで、自らの専門領域で新たな体系を打ち立てるべく日夜努めておられる方々が肩の力を抜いて、多忙の日常を振り返ることができるような息抜きの機会となればと願う。いずれの言葉もそれだけ読めば、しごくありふれた単純な表現に思われるが、じっくりと読み返せば裏側に秘められた異化作用のおかげで、さまざまな省察にいたるヒントを得ることができるだろう。そのためには、キリストがわれわれに教えるように、〈幼児に帰る〉ことが必要なのかもれないが。ともあれそうしたなか、緻密な理性的営為に対する「補助線」(茂木健一郎)が具体的に浮かび上がってくることを期待したい。

子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみてあふれています。……「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」……は、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する解毒剤になるのです。(23頁)

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。(24頁)

いろいろな木の芽や花の蕾、咲きほこる花、それから小さな小さな生きものたちを虫めがねで拡大すると、思いがけない美しさや複雑なつくりを発見できます。それを見ていると、いつしかわたしたちは、人間サイズの尺度の枠から解き放たれていくのです。(34頁)

嗅覚というものは、ほかの感覚よりも記憶をよびさます力がすぐれていますから、この力をつかわないでいるのは、たいへんもったいないことだと思います。(36頁)

すこしはなれた森では、ヨタカが単調な夜の歌を歌いつづけています。リズミカルな特徴のあるその声音は、きこえてくるというより、感じるといっていいようなものです。(39頁)

鳥の渡り、塩の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレイン――夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ――のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。(50-51頁)

(寺尾寿芳・南山宗教文化研究所「科学と宗教」プロジェクト・研究アシスタント)

|

« 【記事紹介】國府田隆夫「科学・哲学、そして宗教の間の対話を求めて―科学者は現代の情況に免責か?」(第3回「親鸞思想の解明」シンポジウム) | トップページ | 背景を視野に収めた思考に向けて »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/203998/40482819

この記事へのトラックバック一覧です: 【書評】レイチェル・カーソン著(上遠恵子訳、森本二太郎写真)『センス・オブ・ワンダー』(新潮社、1996年):

« 【記事紹介】國府田隆夫「科学・哲学、そして宗教の間の対話を求めて―科学者は現代の情況に免責か?」(第3回「親鸞思想の解明」シンポジウム) | トップページ | 背景を視野に収めた思考に向けて »