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2007年7月30日 (月)

創世博物館をめぐる記事のご紹介

□「創世博物館」をめぐって
 アメリカのビジネス、テクノロジー、カルチャーの紹介を通じて「“アカルイ未来”の創造力」を探求するウェッブサイト「WIRED VISION」が、いわゆる原理主義者の反自然科学的性格を体現する「創世博物館」について記事を載せている。

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Gpss070730_9  一読したところ、この記事はいわば科学を肯定する立場から、比較的冷静にこの博物館の危険性を明らかにしている。そこで間接的に紹介される他の記事も、たんなる批判に終わらせず、好奇心を重視してその博物館の面白さへと視線を向けたものもあれば、啓蒙主義への総攻撃とみなしてはげしく非難するものもある。結局この博物館のような根深い、対話を拒否するような立場へのアプローチとしては、どうしてもゆるがせにできない点、たとえば「敵を『人間ではない』とする」ことへの見極めと批判をたゆまずつづける方向をとるべきだと記者は考えているようだ。それにしても博物館は、「わかりやすい」施設だ。肯定するにせよ、批判するにせよ、その理解しやすさは危険性を含みつつも、世論形成過程において重要な契機となっている。

□大衆教育施設としての博物館
 顧みれば、博物館とはじつは公共的な教育機関であった。われわれ日本人は、学校教育のあれこれに多大な関心を払い、ときに不毛ともいえそうな論争を戦わせているが、他方で、博物館のような施設に関しては、いわば「物見遊山」の観光施設として、その教育機能に目が向いていないのではなかろうか。しかしいうまでもなく、博物館とは近代の科学志向、啓蒙主義の流れで生み出されてきた大衆教育施設なのである。その意味で、この創世博物館とは近代主義、啓蒙主義を逆手に取った巧みな方策の展開事例といってよかろう。(日本においてこの創世博物館に類比可能な論議を巻き起こしうる施設としては、靖国神社の遊就館を挙げることができるだろう。)そして健全な批判精神をもって展示を味わうことができるならば、自己の立場と異なる意向をもつ博物館を訪れることは、有意義な思索の行為となるであろう。
 ともあれ、われわれの研究テーマを形成する「科学」と博物館は長くて深い関係を保ち、また寺院などの宗教施設も長らく博物館的な性格をそなえてきた(聖遺物の展示など)。博物館を知ることは、意外に古くて新しい課題なのかもしれない。

□博物館的なホームページと祝祭的なブログ
 さて、南山宗教文化研究所では「科学・こころ・宗教」というテーマでシンポジウムを行い、このたびその成果を(前のエントリーにもあるように)公にした。その豊かな内容が一人でも多くの方々の目に触れることを、その編集過程の末端にあったものとして希望している。と同時に、他方でそうした成果をいわば「博物館」的に展開し、伝達していくには、やはりブログではなく、いまとなっては流行おくれのホームページが有益なのかもしれないという思いもある(もちろん諸般の事情から、その実現を図ることは困難であるが・・・)。
 明確な自己主張をなし、いつでもそこにある存在として、伝達を第一の目的とする契機としての博物館的なホームページと、念々起滅の見解が連綿として交錯していく祝祭的なブログ。両者の棲み分けと相互媒介の重要性にふと思いが至った今回のウェッブ記事発見であった。
(寺尾寿芳・南山宗教文化研究所「科学と宗教」プロジェクト・研究アシスタント)

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